2013年7月31日水曜日

改善の機会

オチなしです。ノンフィクションをフィクションぽく修正しました。


人物紹介


「相田君、ちょっといいかね?」
ISO事務局である相田を呼んだのは、事業所の所長だった。
「所長、なんでしょうか?」
相田が立ちあがって所長に返事をする。私は所長の方をこっそり見ると、その手には先のISO審査報告書が握られていた。
「ちょっとわからないことがいくつかあってね。悪いんだけど、時間はあるかな?」
「はい、大丈夫です」
二人はそういうと、執務室に躾けられている4人座りの打ち合わせ小スペースに移動する。

この部屋で話をされると、話が筒抜けなんだけどな……と思いつつ、私はパソコンの画面に表示されたCAD図面に向き直り作業を再開した。しかし、やはりというか、執務室で特におしゃべりが行われていないため、相田と所長の話は私を含めて長尾や他の課員に筒抜け状態だった。



「それでは所長、ご質問の内容はなんでしょうか?」
「うん、この間の環境の審査なんだけどね。この全般的に言えることなんだけど、『改善の機会』というのをいただいたじゃないか」
「はい。中々鋭いご指摘をいただきましたね」
「確かにね。例えば、『この作業手順について教育を実施していますが、誰が何をするか(責任と権限)がルール化されていません。役割と責任と権限は明確にするようにした方がよいでしょう』というのは、よく分からない部分もあるんだが、彼は何を言いたかったんだろうか?」
「これは、、、、そうですね。役割といえば、監督と教育は所属長が実施するのが役割で、その責任を持って教育を実施する、または実施を指示する権限を有しているということになります」
「……なるほど。ということは、当社はそれが出来ていなかったということか? いや、そういうのは一々文書で定義して文書で細かくどのような責任と権限があるか記載してやらないと、ダメな物なのか?」
「ISO的に言えば、明確化する事はいわば『環境側面の抽出』と言えます。『見える化』という意味でも必要でしょう」
「本当にそうなのだろうか? 課長、係長、主任といった役職にある者は、もちろんそれだけじゃなく同じ役職でも先輩、後輩と言った継続年数の違いによって、それらはそれらに見合う責任と権限を有するのは当然のことで、文書に起こさないととしてはっきりさせなきゃ仕事は出来ないんだろうか?」
「所長、ISOというのは、今までそういったあやふやな部分や、なーなーでやって来た部分をそのままにするという物ではないんです。事前にきちんと明確化することで、事故などが起こった時、責任のなすりつけ合いが発生を回避させないためでもあります。責任と権限の所在は明確化することが必要なんです」
「いや、しかしそこまで細かくやっていたら、訳が分からなくなるんじゃないのか?」
「訳が分からなくなった時じゃ遅いんですよ。所長、今は企業の社会的責任(コンプライアンス)が問われる時代です。外部の利害関係者に信用をしてもらうためにも、責任の所在ははっきりさせなければならないという考えがスタンダードです。なので、審査員は『改善の機会』という形で、このような文章を記載したのでしょう」
「しかし、私としては今のままでは問題になるとは思えないんだが、やらなければならないのかね?」
「厳密に言えば、『改善の機会』は不適合ではないので、やる、やらないは組織側に判断が委ねられています」
「どうして、やらなくてもいいわけ?」
「こいつは、不適合でも不適合になる可能性のある私的というわけではありません。あくまで、審査員の所見の一端でしかありません」
「やってもやらなくてもいいことなら、どうして審査員はなぜわざわざ報告書に書いてくるわけ?」
「報告書に書いたのは一部で、実際は審査の中でいろいろコメントをされていますよ」
「ん~そもそも、ISOの審査ってそういうものなの? 適合性審査とか、審査前に言ってたと思うんだけど」
「はい、そのとおりですよ」
「じゃぁ、改善の機会って、適合性とどう関係があるの」
「特にはありません」
「無いの?」
「……はい、改善の機会はあくまで審査員の所見ですから」
「なんだか、そういうのって、大きなお世話だよね」
「……ええ、まぁ、そうですね」
「必要ないって断ることは出来ないの?」
「う~ん、どうでしょう?」
「じゃぁ、今度必要ないって言ってみてよ」
「は、はぁ……わかりました」
「じゃぁ、とりあえずさ。他の改善の機会? 環境管理責任者と相談して、うちにメリットがあるなら持ってきてよ。無いならやらない方向で次の審査の時に『やりませんでした』っていって断ろう」
「……はい、わかりました」
「それじゃ、まとめと対策案の方、よろしくね」

そう言うと、所長は立ち上がり、居室を後にした。




所長が去ってしばらくした後、相田が私に話しかけてきた。
「さっきの、所長の話なんですけどね」
そうして相田が長々と話してくる。主に愚痴であったが、要約すると
「ISOというものが分かっていない」
と言う内容だった。
確かに、ISOの認証取得にしろ、規格要求に基づいたシステム作りにしろ、それを「やれ」と判断したのは経営層であり、経営層は「それが必要だ」と判断したわけである。
今回の『改善の機会』でいえば、その判断と指示を行った以上、その責任は当然経営層に帰結するわけである。
他の『改善の機会』を見ても、全体的に「おたくの会社は何やってんの? 経営層が全然マネジメントしていないよ。きちんと業務分析しなきゃいけないし、ちゃんと監査もしてくださいよ」と言っているようなものである。
私や相田などは、この審査報告書を見て「痛快だ」という考えを一致させていた。
私は、所長が当初想定していた、ISOと言うものと実際のISOという物に大きな溝があったから、あのような考えと発言であったのではないか? そう相田に答える。
「たとえそうでも、それは所長の責任でしょう」
そう相田は主張する。
確かに、彼の言うことは正論ではある。しかし当社は昔ながらの村社会システムの延長に位置する会社である。
株式と言っても大株主は会社の組織内組織で編成された団体で、社員に給料から毎月自動的に出資させて買戻しをするという仕組みである。
私は彼に、ISOにしろ、ISMSにしろ、当社には「お札」がまず第一にあり、その中身については重要視していない組織の所長に何を期待するだけ無駄であり、適度に手を抜く方法を考えた方が良いとアドバイスをする。
潔癖症の相田に、私なりの『改善の機会』として、考え方を少し柔軟になった方がストレスがたまらなくて済むぞ付け加える。
「とんだ『改善の機会』だな」
ISOの審査員の資格を持つ彼には受け入れがたい意見だったようだ。私の考えは相田に鼻で笑われた。

私は苦笑しつつ、それは心の中でお互い様だろうがとつぶやいた。

2 件のコメント:

  1. 責任と権限が決まってなかったら実務では機能しません。ですから、形だけだったのかもしくは不文律運用だったのかの二択でしょうね。
    最近は「不適合をもらうくらいなら認証をやめる」と駄々をこねるので改善の機会で落として運用しているというウワサも・・・

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    1. 確かに、教育は誰が施したか? 誰が教育を指示したか、教育の結果は誰が承認(または確認したか)は、どこかのタイミングで出てきますからね。ってあれ?最後のは出てこない時もw?

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