2019年10月15日火曜日

停電後に訪問してくるソーラーパネル設置メーカーの説明は信じるな!

台風19号の被災で、太陽光発電設備が止まったという話を聞いた時に下記の件を思い出したので投稿します。


記事:「疲労困憊ですよ」「いつ電気が...」停電13万軒の千葉 住民は表情硬くつぶやいた

記事自体を見ると分かりますが、停電が長引いた場合の電気の重要性は計り知れません。

ですが、まず個人的なことを。

 東日本大震災時は2週間停電に4週間の断水でしたので、その半分にも満たないし食料の調達にも当時に比べると困難ではない状況です。
 スタンドすら開いていない、並べば給油できるわけでもない、灯油すら買えない。それ以前に食べる物すら購入できない。場合によっては家すら震災で破損している(避難所生活の方がまだ食べ物があるだけましかな。他人との生活臭が交じり合って避難所の臭いはすごいことになりますが)。

 東日本大震災を経験したであろう地域で、当時と比較すればかなりの好条件のはずなのに記事にあるような発言が出てくると、もやっとします。

今回も記事にあるような話が出てくるのだろうかと思うと、やっぱりもやっとします。

本題です。

 被災後に太陽光発電設備を導入しませんか?という話を持ってくる業者が居る。というコメントを見かけました。
 また、太陽光発電設備を持っているので、停電しても電気が使えるというコメントも見かけました。

停電時は太陽光発電設備を所有していても電気は使えません。


使える場合の例外は
1.独立電源で商用ラインに接続していない。
2.停電時に商業ラインに流れないようなシステムが組み込まれている。
このどちらかです。
これは保安上の措置です。(停電の原因が排除されていない状況で商用ラインに電気が流れたら大変だからです。電
気が流れ続けているので危なくて作業員は原因箇所に近づくことも出来ません。一般の人が誤って近づいて感電死する危険もあります)

なので、安易に太陽光発電設備を導入しないように注意してください。

なお、停電時に太陽光発電設備によって発電した電気を使用することは可能です。
パワーコンディショナーに取り付けられているACコンセントから電気を取り出すことが可能です。
MAXで1.5KWです。
電力の供給は不安定(天気任せ)ですので注意が必要です。

緊急時に備える目的であれば、10~20万円くらいの発電機と燃料を容易するほうが現実的でコスト的にも無難です。

安易に太陽光発電に飛びつかないように注意しましょう。

2019年10月2日水曜日

大震災時、大津波の発生を予見できないのか?

2019年09月19日に判決が下された原発事故強制訴訟の東京地裁の判決で気になることを永渕裁判長が述べているので書きます。

記事:東電旧経営陣3人に無罪=巨大津波「予見できず」-原発事故強制起訴・東京地裁

永渕「予見可能性を認めることはできない」

裁判の論争での判断です。

事前に「最大15.7メートル」という算出結果が求められており、その算出結果は「参考」であり、
永渕「原発の安全対策を考える上で、取り入れるべき知見だったとは言えず、客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」
としています。


まず話を一旦別の方向に移します。

法令でも危険作業や危険物の取り扱いについては様々な取り決めがなされています。
例で言えば、消防法や火薬類取締法で定められている保安距離や防護対策などですね。

ただこれ、「これをやれば十分」ではなく「最低限必要な措置」なんですよね。

法令を順守している≠コンプライアンスを順守している

では無いということです。ですがもう一つ留意しておく必要な事もあります。

法令を順守している=法的な責任を果たしている。

という点です。

ではさらに論点を別の視点に移してみます。


ある工場では法令順守を徹底しておりました。しかし、死亡事故が発生しました。爆発事故の為、工場だけでなく周囲の人も亡くなっています。
工場では法令で定められた安全基準を満たし、点検もキチンと行われ、法令で定められた防護対策はキチンと取られていた。法令違反は見受けられない。
ではPOINTです。

工場長は「業務上過失致死罪」には問われないか?

工場長は「無罪」となるか。


では過去の類似する判例を見てみましょう。

参考:企業活動で起きた業務上過失事件、法人処罰の在り方は
参考:業務上過失致死傷罪

判例から見るに、運営側に一切の非が無ければ「無罪」となるようです。ただし、「全員が無罪ではない」という点がポイントでしょう。参考先では運営は無罪だが設計者は有罪になっています。Wikiの記述の「因果関係」より、設計の問題と因果関係があるのは「設計者」であると判断した結果でしょう。
 個人的なことを言えば、設計に問題がないかどうかの「検査」を「品証」が行います。
納入物が建屋であれば、それ相応の「検査」が関係者の担当者によって行われ「合格」が出ているのですから直接の「設計者」だけが「有罪」となるのは変な話しです。「承認」「合格」を出した人達全て「因果関係」があるのではないでしょうか? 裁判長って頭オカシイ人しかいないのかなって思ってしまいしますね。
法令で定められたことを守っていない上での事故の場合は運営者側にも刑事責任があるようですが、そうでない場合は「因果関係」の有無を遡った形で「犯人探し」が行う必要があるようです。
その為、これだけを論拠とした場合「業務過失」を経営層に問うのは難しいわけです。

その為、裁判の論点として巨大津波を「予見できたか?」という部分に絞り込まれたようです。

では実際はどうなのか? これは明白です。

永渕「原発の安全対策を考える上で、取り入れるべき知見だったとは言えず、客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」
このように述べていますが、実際に巨大津波は発生したわけですから、その数値の正しさが証明されたわけで、信頼性や具体性を認めないとする判断に客観的ではなく合理的ではないといわざるを得ません。

次に「最大15.7メートル」の数値の信憑性に疑問を持っていたのであれば、東電は「最大何メートル」までの津波を想定しており、その津波の根拠はどのように試算されていたのか?
その試算は客観的に信頼性、具体性があったと認めることができる合理的があると判断できるものだったのかどうか?を明確にする必要があります。そこに不備があるのであれば、当然経営層は責任を取る必要があるわけです。
今回の裁判では、そこはキチンと確認されているのでしょうか? 記事を見る限りでは不明です。

こういってはなんですが、今回の裁判に限らず全ての採番において、裁判官は提示・提出された「証拠」に「異議」があるのであれば、その異議を明確に提示するべきではないかなって思います。