記事:東電旧経営陣3人に無罪=巨大津波「予見できず」-原発事故強制起訴・東京地裁
永渕「予見可能性を認めることはできない」
裁判の論争での判断です。
事前に「最大15.7メートル」という算出結果が求められており、その算出結果は「参考」であり、
永渕「原発の安全対策を考える上で、取り入れるべき知見だったとは言えず、客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」
としています。
まず話を一旦別の方向に移します。
法令でも危険作業や危険物の取り扱いについては様々な取り決めがなされています。
例で言えば、消防法や火薬類取締法で定められている保安距離や防護対策などですね。
ただこれ、「これをやれば十分」ではなく「最低限必要な措置」なんですよね。
法令を順守している≠コンプライアンスを順守している
では無いということです。ですがもう一つ留意しておく必要な事もあります。法令を順守している=法的な責任を果たしている。
という点です。ではさらに論点を別の視点に移してみます。
ある工場では法令順守を徹底しておりました。しかし、死亡事故が発生しました。爆発事故の為、工場だけでなく周囲の人も亡くなっています。
工場では法令で定められた安全基準を満たし、点検もキチンと行われ、法令で定められた防護対策はキチンと取られていた。法令違反は見受けられない。
ではPOINTです。
工場長は「業務上過失致死罪」には問われないか?
工場長は「無罪」となるか。
では過去の類似する判例を見てみましょう。
参考:企業活動で起きた業務上過失事件、法人処罰の在り方は
参考:業務上過失致死傷罪
判例から見るに、運営側に一切の非が無ければ「無罪」となるようです。ただし、「全員が無罪ではない」という点がポイントでしょう。参考先では運営は無罪だが設計者は有罪になっています。Wikiの記述の「因果関係」より、設計の問題と因果関係があるのは「設計者」であると判断した結果でしょう。
個人的なことを言えば、設計に問題がないかどうかの「検査」を「品証」が行います。法令で定められたことを守っていない上での事故の場合は運営者側にも刑事責任があるようですが、そうでない場合は「因果関係」の有無を遡った形で「犯人探し」が行う必要があるようです。
納入物が建屋であれば、それ相応の「検査」が関係者の担当者によって行われ「合格」が出ているのですから直接の「設計者」だけが「有罪」となるのは変な話しです。「承認」「合格」を出した人達全て「因果関係」があるのではないでしょうか? 裁判長って頭オカシイ人しかいないのかなって思ってしまいしますね。
その為、これだけを論拠とした場合「業務過失」を経営層に問うのは難しいわけです。
その為、裁判の論点として巨大津波を「予見できたか?」という部分に絞り込まれたようです。
では実際はどうなのか? これは明白です。
永渕「原発の安全対策を考える上で、取り入れるべき知見だったとは言えず、客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」
このように述べていますが、実際に巨大津波は発生したわけですから、その数値の正しさが証明されたわけで、信頼性や具体性を認めないとする判断に客観的ではなく合理的ではないといわざるを得ません。
次に「最大15.7メートル」の数値の信憑性に疑問を持っていたのであれば、東電は「最大何メートル」までの津波を想定しており、その津波の根拠はどのように試算されていたのか?
その試算は客観的に信頼性、具体性があったと認めることができる合理的があると判断できるものだったのかどうか?を明確にする必要があります。そこに不備があるのであれば、当然経営層は責任を取る必要があるわけです。
今回の裁判では、そこはキチンと確認されているのでしょうか? 記事を見る限りでは不明です。
こういってはなんですが、今回の裁判に限らず全ての採番において、裁判官は提示・提出された「証拠」に「異議」があるのであれば、その異議を明確に提示するべきではないかなって思います。
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