2014年2月19日水曜日

リスクの予防、リスクの緩和、緊急事態の予防、緊急事態の緩和

主な登場人物

「リスクの取捨選択とリスクの代替が必要だ」

ずいぶん昔のことになるが、わたしはISO事務局(ようは、仕事をしない環責の業務代行者のことである)のころに、そのような発言をしたことがあったらしい。
らしいというのは本人すら発言したことを忘れていたためである。とはいえ、その発言自体に違和感がなく、言葉の内容自体特におかしいと思うところはない。
しかし、現ISO事務局である相田がどこからともなくやってきて、その発言を過去にしたかと問い立たされた。
私が、発言をしたかもしれないし、その考え方はおかしいとは思っていないと答えると、相田は真っ向から、
「それは間違っている。リスクは極力排除しなければ
と断じてきた。
その後、相田は私がISO事務局で手を入れてきた部分を(たとえば内部監査の要員数の削減と頻度の低下など)否定し、組織をダメにしているという趣旨の説教を三十分近くしてきた。
私としてはきっかけが不明だったため、論点をとらえることができずただただ聞くだけだったが、

Q01「内部監査の回数と規模は増やした方が組織はよくなる」
Q02「内部監査のできる職員は多ければ多いほどいい」
Q03「内部監査員の力量は向上させるべきだ」
Q04「化学物質の取り扱いとして、入出及び在庫数量だけというのは間違っている。その日に使用した消費数量も細かく記載するべきだ」
Q05「PRTRの取扱量、排出量の集計作業までこちらで行っているが、様式を各部門に配布し、部門先から集計させるのが本来のやり方だ」
Q06「廃棄物の排出量と種別の集計はこちらで行うのではなく、各部門にきちんと報告させるべきだ」
Q07「産業廃棄物の分別は排出者にきちんとやらせるべきだ」
Q08「目的・目標の計画表の様式は、今のものではなくこちらを使うべきだ」
Q09「環境側面の抽出方法がおかしい。案を作成するなどもってのほかだ。きちんと各部門に指導して作成させなければならない」
Q10「考え方が根本的に間違っているから、リスクに対する考え方も、環境側面についてもISOについても認識が不足している」



どれも、根拠が提示されないので、

A01「内部監査は『適合性しているかどうか』をチェックするのが目的で、継続して『適合』状態が続けば回数は減らして当然だし、規模も縮小。改善点を探すのが監査の目的じゃない。また、適合していることが利益につながる結果となるかどうの保証はない」
A02「少人数のグループ以上は要らないし、業務監査である以上、本来であれば役職員が監査になるで充分。そもそも、監査する為に職員を雇い入れているわけじゃない。多ければどれだけ成果が期待できるか、具体的に見積もって見せろ」
A03「『向上』とは、何を持って『向上した』とみなすのか? 監査員の力量に不満があるのであれば、具体的に提示し、向上させなければどのような『不適合』が発生するか、きちんと評価して見せろ」
A04「なぜ事細かく管理しなければならないのか? そのような要求はあるのか? なぜそれを『不適合』としないのか? 内部監査で指摘されたのか? まずは通すべき筋を通してから発言しろ」
A05「一体何人に記載の方法や集計の方法を指導するつもりだ? 手順書を読め? バカヤロウ! きちんと理解したかどうかの効果の確認はどうするつもりだ!? ちゃんと出てきた数値が間違っていないか、ちゃんとお前はチェックするのか!? お前がチェックする為に使用する工数と、お前が部門の連中の代わりに全部集計して記載するのと、どれだけの時間に差があるか、考えたことはあるのか!? はっきり言ってやろう。今の俺なら、必要な時間は『ボタンをクリックする』のに必要な時間だけだ。ああ、そうだ。1分でKg換算した結果が出せる。そうなるようにマクロを組んでいるからな。その状況下で、なぜ改善とは逆の主張をするのか、ちょっと課長を交えて話してみようか」
A06「一時保管の管理はこっちだし、収集・運搬業者との直接窓口はこちらの所掌だろう? なぜ各部門にやらせなければならないのか、ちょっと言ってみ? あ!? ごみを出すところが責任と自覚を持たせるだぁ? 連中が自覚と責任を持つと、会社にとって何かいいことでも起こるのか!? ごみが減るとでも!? 減らないだろうが」
A07「ああ!? 部門から出てくるゴミが分別ができていない!? 暇なお前が一時保管の場所で分別してりゃいいだろ。連中だって暇じゃないんだ。慣れない連中がやるより、わかっているお前がまとめてやった方が早いし、慣れない連中が間違った分別をするリスクを避けられるだろうが。それを覆そうっていうなら、覆すだけ会社にとって利点があるんだろうな。こんなの、何処で誰がどのタイミングで分別するかの差しかねーんだよ。単価の安いアルバイトでも雇って、そいつにやらせるっていう提案なら真面目に聞いてやるが、そこまで考えてねーだろ。まあいいや。そこまで言って来るなら責任を取ってもらおうか。現状のメリット、デメリットとお前の主張することのメリット、デメリットをまとめて提案書を作成な。あ、今年度中に提出しろよ。俺も抜けがないかきちんとチェックすっからな」
A08「ISOの様式なんて、どーでもいいんだよ。『使う連中が分かっていれば十分』だしな。気に入らないなら、『様式』そのものを破棄して、すきにすりゃいいだろ。あ? 決められた様式に記載することは重要だ? あのなぁ。法定点検の項目に抜けなく実施するとかそういう背景があるのか? 俺も様式に手を加えたことが? 確かにあるが、『同じ目的で複数の様式が混在している』状況を改善したにすぎねーんだよ。あのな。おまえ、様式ってのは、どういう物だと思ってるんだ? 俺の中じゃ『複数の人間が参照したり利用したりする場合で、情報の一元管理を効率よくするためを仕様を事前に決めておく』という基準があるんだが、チョットお前の基準を述べてみろよ。そういうものだ? よし、その理屈をかちょうの前でも言って、通してみろ。通ったら好きにすりゃいい」
A09「よーし、じゃぁ、指導要領を作って見せようか。きちんと各部門に赴いて説明しろよ? まさか、自分でやる気がないなんて言うつもりは無いだろうな? 俺は一切手を貸さないからそのつもりで。ああ、そうそう。このケースに関して各部門からクレームがじゃんじゃん来るだろうから、事前に課長にはきちんと話を通しておくように。言ったからにはきちんとやり遂げろよ」
A10「何かあればすぐに附属書を持ち出すが、附属書の頭に組織の従来あるルールの変更を要求しないってあるのをきちんと理解してるのか? ISOの字面ばかりみてて、要求の『意図』を読み取れもしない奴が、どうして認識が不足しているなんて論ずることが出来るんだ?」

と、私は反論を述べてみた。するとどうだろう? 相田は顔を真っ赤にして「柾はまったくわかっていない」と罵倒してくるではないか。
何が分かってないのか、きちんと説明してほしい問う旨を伝えると、
「そんなのは常識だ」
「いちいち説明しなきゃならない時点で駄目なんだよ」
この物言いに、私は唖然としてしまった。そして課長の方を向く。やり取りは課長の耳に届いているはずであるが、課長は聞いていない振りをして口を挟む気がないようだ。
なお、私は内々で、課長から「相田はお前担当だからな」と言われている。
<ケース>
その背景として以前、別件で課長と相田間で工事の産業廃棄物についてやり取りがあった。この時相田は、一度決まったことやスケジュール、手順に対して後からネットで調べた情報を持ち出し、手順の問題点を出してきたのである。
なお、その手順についても、相田と課長と工事課の間で打ち合わせ会議を以て決定された事である。つまり、決まったことに対して白紙化を要求してきたわけである。そして再び再考されて修正された手順に、再びネットで調べた情報を持ちだし、手順の抜けを指摘してきた。これが延々と繰り返されるわけである。
この行動に対し、当課の課長に、工事課の課長からクレームがあり、課長としては打ち合わせ前にきちんと調べたうえで提示するよう指示があったが、結果として治ることが無かった。
私は、仕方がないなという想いで、相田に対してその主張を他の人にして、理論的に筋道立てて説明して納得してもらえる自信があるなら、好きにすると言いと伝えた。すると、相田は何も言わずに鼻で笑い、私のもとを去っていった。
私はこのやり取りにデジャブを感じ、苦笑するしかなかった。
それは、過去に同じやり取りが行われ、相田の独断で(課長に話は通していない)所長に対し、彼が私にしたのと同じことを主張し、所長に疑問点をぶつけられて一切回答することが出来ずに撃沈されたことがある。
困ったことに、所長はその後、相田の主張と行動に対する苦情の処理をすることになったのは余談である。



喫煙所でコーヒーを飲みながら久我山と雑談していると、管理課長の片山がやって来て、
「なんか、相田とやりあってたんだって? リスクっていう気になる単語が出たんだけど、どういうこと?」
先程のやり取りについて話題に出してきた。なお、情報元は当課の課長である。
「いや、なに。総合リスクマネジメントシステムの構築の件で、柾と相田のリスクに対する考え方っていうのを知っておくのも悪くないかなとね」
「石井さんも入っているアレっすか? リスクの洗い出しを丸投げしてきて、相当揉めて混迷しているアレ?」
「そう、そのアレ。特定や抽出とか、もう、わけわからないアレ」※想像力の欠如したリスク評価
私は片山と久我山に対して、事の発端である「リスク」について、抽出以前の問題である旨を伝える。
「どいうこと?」
久我山の質問に、私は私と彼とでは、「リスク」という物の捉え方、考え方もあるが、根本的に対応すべき順序が違う旨を伝える。
「順番っすか? リスクを特定っていうことは、ようは『事故件数に対してヒアリハットの件数が足らないから、ヒアリハットをだせ』っていうことでしょ?」
久我山の言葉に刃に衣を着せぬ言い方に、私は苦笑しつつ、その特定の前段階の話だと続ける。

相田はまず、リスクは「1.取り除くモノ」であり、取り除けないのであれば、「2.拡大を防ぐ」ための措置を講じる。リスクが顕在化すれば、それは「3.事故として処理をする」というもの。
これだけみれば、それほどおかしなようには聞こえない。しかし問題なのが、これらの対応から調整などの音頭を自分が取らない。自分が矢面に立とうとせず、あくまで「4.第三者として論じる」点であり、主に他者にこれを要求する。
根本として「5.事故は起こしてはならない」と言うものがある。しかしながら「6.方法論や技術的なアドバイスは提示しない」という力量不足の面が散見される。提示してくる方法についても、「7.インターネットのページをただ印刷したもの」以上のものは出てこないのがポイントの一つであろう。

これに対して私は、「リスクの取捨選択とリスクの代替」とあるように、「1.リスクが顕在化するとどうなるか」と言う点を考える。例えば、油のペール管を保有しており、相田の場合は数量に関係なく「危険物貯蔵庫」に保管することを要求する。それに対して私は「ペール缶が全量漏れ出した場合、排水路に流れ込むか否か」と言う点と「漏れたばあい、排水のノルマルヘキサンの数値はどうなるか?」と言う二点を評価する。仮に漏れたとしても、水質汚濁防止法上の基準を超えるのであれば、環境事故として周辺に通報する必要が出てくる。そのため、「排水路に流れ込まない範囲に保管」を要求するが、法の基準未満であれば、ペール缶の漏洩については「2.事故にならなければ基本は放置」の選択をする。もちろん、常識の範囲でペール缶は保管はするが、そこまで厳密に管理の対象としない。
また、事故にならなくても「会社にとって損益となるか」と言う点も定めておく必要がある。有益の逆の損益の環境側面という奴だろう。
この時も、「3.会社にとって回復が厳しい損害とならないなら放置」を選択することとなる。ここでの損益は、資産的な意味でも信用的な意味も含む。
理由は簡単で、簡単に「リスクリスク」と呪文のように言う輩に限り、「線引き」をしていない。どこかで線引きしなければ、リスクとは際限なく広がってしまうからである。相田の場合、業務で使用する油管は問題にするわりに、塩素系潜在であるトレイの洗浄剤は「リスク」として捕えないし、同じ消防法の危険物として基準を見たし、指定数量も油管より低い消毒用のエタノールについては何も言わない。(業務用で保管の総量は少量危険物ギリギリ)
また、「周辺環境へ連絡しなければならない」ことを大袈裟にとらえているが、連絡を受けた側がどう反応するかまで考えが及んでいない。また、連絡の仕方で相手が受け取る印象は変わってくる。相手が受ける「4.印象をコントロールする」ことも重要であり、リスクコントロールの一環である。
リスク対策で最も重要なのは、「5.明確な評価基準を決定し、基準を超えた場合、どのような対応をするかを事前決定しておく」ことである。そうしなければ、「リスクがある。さぁ、どうしよう」と迷走をする結果となる。
このケースは、作業環境測定の場で割と見かけることが出来る。事前に対応を決定していないため、気中の有機溶剤の濃度が高かった時のことを事前に決定しなかったため、現場の作業員と測定者と経営層の間で大いにもめる結果となった。
結局のところ「6.事前に緩和及び予防の対応の手順を定めておく」ことを怠った為に招いたトラブルである。
以上より、まず「取捨選択」とは、「リスクが許容できる物かどうかの評価基準及び対応基準を定めた後に特定する」ことの他ならない。つまり、「物があるから」リスクがとして捕えて、ではなく、「物がある場合」のリスクをどうするか? を先に決めることに他ならない。油を例に言えば「危険物取扱手順」とか、そういうのがそれに準じることだろう。

相田のように、「リスクがあるから、さぁどうしましょうか?」 というのは、ある例を沸騰させる。そう、ISOの審査員がよくいう「環境側面の抽出」とその記録の要求行為である。
この方法が必ずしも悪いとは断言できるほどではない。しかし、考えてみて欲しいのは、排水処理設備を持っていない状況で設備を運転しており、「排水の基準が超えるリスクがある」から、「どうしましょうか?」と言うのは順番として間違っていると言わざるを得ない。こういうのは、設備を設計する段階で予測できていなければ許されない可能性が非常に高い。つまり、「環境側面の抽出」とは、現状動き出している設備や事業活動に対してのものでは無く、これからまたは近い未来に対して「管理が必要な事項は何か?」を「事前に特定」することだろうというのが、私なりのISOの規格要求の解釈である。すでに動き出している設備や事業活動に対しては、すでに「抽出」され「特定」され、「管理」されているモノである。リスクも同様であり、それに対応するのが作業手順やチェックリストであると考えている。
なので、ISOを認証取得するから、改めて抽出し、特定し、従来とは別に管理しよう、リスクを従来のとは別に特定しよう、と言う発想になるの相田や大部分の審査員の考え方に疑問を生じる。

それらの事を片岡と久我山に伝える。
「事前に決まるもんなのですか?」
「いや、それは決めなきゃいけない」
片岡が断じる。
「管理課でも似たようなケースがあってな。労働安全衛生管理者が、放射能測定をやろうと衛生委員会で上げたことがあったんだ」
「ああ、あの人、ガイガーカウンターもって定期的に測ってますね」
「まぁ、な。だけどその数値は公表していないだろう?」
「そういえば、そうですね。カウンター自体は会社で買って業務として測っているのに、なぜ公開しないんですか?」
「簡単な話だよ。数値を公表すると、数値が独り歩きするからさ」
「独り歩き?」
「そう、数値が高かったら、高いと言って騒ぎ出す職員が出てくるだろうし、国の基準値を超えている場所を発見したら、どうするんだ?」
「どうするっていっても」
「仮に基準値内と言っても、やっぱり基準近い数値だったらどうする? 大丈夫なのか?」
「よくわかんないっすわ」
「下手に数値を公表すると、工場を閉鎖しなきゃならなくなる。そうなると、みんなが困るだろう?」
「困りますけど、安全には換えられないのでは?」
「その判断が出来る責任も権限を、だれも持っていないんだよ」
「…………所長も?」
「当然だ。所長としても工場が止まることは許容できない。だからだよ。数値が高いのを発見した。発見した後に高いからだからどうする、こうすると、みんなそれぞれの価値観の元に、全然違うことを言い出すんだ。だから、こういうのはきっちりと事前に基準を決めて、その基準を超えたらどうするか? どこまでできるかを含めて事前に確認しつつ決定しておかないとダメなんだ」
片岡の言葉に、久我山はなるほどと頷く。
「だけど、福島の原発事故の時のように、事前に決定されていた基準に対し「直ちに影響はない」といって基準を変えるようなことをしていては、なんのための「基準」かわからなくなる」
「ああ、アレは相当、いろんな方面から叩かれていたっすね」
「出来もしないことを事前に決定していたわけだね。だったら最初からそんなルール作るなよってなるわ」
辛辣な片岡の言葉に同意しつつ、私は相田と石井のやっていることも同じことになるだろうと付け加える。
「確かにな。リソースの事前確認は重要だ」
この言葉に、久我山が唸りつつ言った。
「つまり、財布の中身を確認せずに買い物や旅行に行くようなもんなんですね?」
「なかなかうまいことを言うね。それだけじゃなく、出掛ける時の装備も確認していないっていう感じかな。旅行なら着替えも準備しないと」
「でも良い事聞いたっすね。石井さんに何か言われたら、事前確認の件で切り返してみようと思います」
久我山の言葉に、私は激怒するから、あまりやりすぎないようになとくぎを刺しておいた。



「それで、結局『リスクの代替』っていうのはなんなんだ?」
その話はせずとも好いと考えていたが、どうにもそううまくはいかなかったようだ。
「代替品って位置づけっすか?」
久我山が問い掛けてくる。私は基本的にはその通りだと答え、製品、手順の変更や、道具の更新なども含むと答える。
「リスクの代替ってことは、リスクそのものは残るってことか?」
片岡の問いに、私は従来のリスクがなくなる代わり、別のリスクが新たに発生すると伝え、リスクとコストと労力の見合う「最適解」を見出すのを到達点を見出す行為をもって「リスクの代替」と表現している旨を伝える。
「最適解っすか?」
久我山が疑問を提示する。そこまで言うと判り辛いし、まず入り口としては久我山が感じた印象に間違いはないので、そのように表現しているだけだと伝える。
そして、その「代替」について、例えば有機溶剤に該当する薬品を、由規則に該当しない別の変更した場合を例として説明する。
ISOに携わる多くの人は、これをISOの活動の一環として「有効性がある行動」と評価している。「リスクを取り除いた」なんてドヤ顔する人もいる。

しかし、私は「代替」とはそうではないと考えていると前置きする。

前者であれば、『有機溶剤』としての有毒性が証明された製品であるため、その取扱いについて有機溶剤規則に基づいて取り扱いを行えば、作業員の安全は担保される。
しかし、代替品が「安全である」という保障はないため、作業員の健康の担保を約束するものではない。
顕在化していたリスクが潜在リスクに置き換わっただけであり、実のところ「リスクが取り除けた」と言うのは幻想に過ぎない

「そうなんですか? 安全だから法規制がかかっていないだけじゃ?」

法律とは、過去の教訓をもとに積み重ねられた背景がある。法規制に掛かる物品を使うことで「リスクは無いと証明されており、安全性が担保されている」のであれば、PCB製品などこの世に存在しなかっただろうと伝える。
とはいえ、換気装置や吸着缶、健康診断に作業環境測定などの「コスト面」は無視できないし、取り扱いの監督者は有資格者を要求される。維持管理の面を怠れば、当然作業員の健康リスクに繋がる。
代替品に置き換えれば、そう言った煩わしさから解放され「コスト面」でも安くなるが、使用する溶剤の数量が大規模な場合、前者よりも後者の方が単価が高い可能性がある。そうなると、作業面や労務コストの面で削減できても、物品の面でのコスト高の方が高くつく可能性もある。

「じゃぁ、どっちがいいんですか?」

久我山の問い掛けに、私はリスクが顕在化して事故となった場合、それは取り戻せるものなのか、それとも取り戻せない物なのか?と言うところにトリガーを置くのが良いと思って居る。と伝える。
有機溶剤を取り扱う業務であれば、結局のところ問題になるのが「被ばく時間」である。「被ばく時間」を減らせば、その分従業員の健康の「重篤化」が緩和されるし、吸着缶の使用頻度と使用時間も減ることでコストの削減も出来る。
「薬品の代替ではなく、作業工程の見直しってことか?」
片岡の質問に、代替品の安全性とコスト面の問題がクリアされているなら、そっちの方が良いですが、、、と前置きしたうえで、最終的に「譲れない点」を明確にしたうえで、後はコスト次第でしょうと伝える。
現状の状況で、作業員に健康被害が出ていない、及び数値が年々上昇している、数値が高い値で慢性化していない、というのであれば、あとは「コスト」だけの問題である。
現状の方法も「試行錯誤された結果」であることをきちんと認識したうえで、それ以上の最適解を出すのであれば、現場と折衝して試行錯誤を繰り返す必要がある。
そうではなく、数値が悪化の傾向を見せているなどの評価結果(作業員の健康診断の数値が悪くなっている、気中の濃度が高くなっているなど)あれば、工程の一部に手を加える(粗洗浄に純水による超音波洗浄機を導入する)などの考慮は必要だからやるのであって、リスクの見える化のためにやるのではない、と伝える。
代替案の例で超音波洗浄機を導入しても、高周波利用設備に該当するので、新たなリスクが生まれる。
リスクとは無くそうとしてもなくせないのだから、リスクとは向き合うもので、目を逸らす考え方ではいけないと伝える。
確かに、第一種から第二種に、第二種から第三種に変更するというのも選択として入れておくのも悪くはない。
最終的には提示されたリソースの範囲内で、取り返しのつかない事故を回避すべく、新たなリスクを抱え込む事を恐れず、現場の力量や人員を考慮に入れたうえで、一番安く済む方法を選択する。それが「最適解」だと伝える。

「リスクを回避するために、新たなリスクを抱え込むってのは、どうにもイメージがわかないっすね」
久我山の疑問に、片岡が納得と言った顔で言葉を引き継ぐ。
「なるほどな。このあたりは身近な例に置き換えるとわかりやすいぞ。例えば自動車の通勤で、住宅街を通る場合、視界の悪さや子供の飛び出しのリスクがある。代わりに通勤時間は短くて済むというメリットがある。逆に、国道や県道を通ることで、飛び出しといったリスクを避けられるけど、今度会通勤時間が長くなることで、遅刻と言うリスクが発生する。どっちもどっちと言う面はあるけどまぁ、柾が言いたいのは前者のリスクは最悪、人命を奪う可能性があって取り戻せないけど、後者は人命によらないし、謝罪すれば済むし、最悪の場合でも減俸で済む。どっちがいいかは明白だな」
「そう言われるとそうですけど、、、、人って結局、楽な方、つまりは前者を選ぶんじゃないんですか?」
「それは自覚できていないからだろうし、柾の謂いたいのは『最適解』だろう? 一般では後者を選ぶのが筋だけど、国道や県道は事故で渋滞っていうリスクもある。そういった面もあるから、住宅街を通るとしても、あらかじめ飛び出しや視界が悪い十字路、通学路は避けようっていう中間を取ったり、危ない所だけ県道を通るとか、住宅街でも路の広い所を通るとか、やりようはあるだろう」
「いっそ、8時勤務を止めて、9時半にすれば、子供たちは幼稚園や学校がはじまってますから、リスクは少なくなりますよ?」
「それも一つの考え方だ。だけどそれはそれで、また別の問題が出てくるかどうかの評価が必要になってくるしな」
「簡単にはいかないっすね」
久我山の感想に、それはそうだと思った。従来のやり方を変えるという行動も、従来のやり方に新たな要因を加えるという行動も、大きな労力を要する。

一気に仕組みを変えた方が良いという考えの人もいるが、柾の場合はそれは反対である。なぜなら、今までやって来たやり方を一気に変えるということは、今までの経験を生かせなくなるというデメリットもあるし、慣れない作業でどこに落とし穴があるかもわからない。逆に従来の経験が仇になって、誤操作を招いてしまうデメリットすらある。それが重大な事故につながらないとは限らない。

「なんか、相田と石井さんがやってるのって、とんでもないことじゃ?」

そのとおりである。本人たちも、指示した人たちも簡単に考えているが、とんでもないことである。この手の最大のリスクは、指示した人たちは「紙を相手に仕事する人たち」であり「人を相手に仕事をする人たちではない」点であろう。
簡単に考えて指示を出す行為は、ある種の経営リスクであり、自らリスクをばら撒いているようなものである。
その中間点で折衝をするのが、「事務局の役割」であるが、彼らのようにトップダウンの指示をそのまま「何も考えずに現場に展開」していては、自分たちの自己満足を満たすだけで、何も問題は解決しない。
現場や物を知らない人間が、安全や環境を口にするのはとても危険なことだと、私は考えている。

「とはいっても、人事評価と金を握っているのは、連中だけどな」
「そんな人たちが、効果のないISOにありがたみを感じて、金を払っているわけっすね」

本当にそのとおりだ。指示をするならするで、対応に必要な工数と労務費を計算したうえでそれを行ってほしい物である。

2 件のコメント:

  1. リスクが無くなるというのは、その仕事が無くならない限りあり得ません。何かしらに移行していくだけです。手動から自動化すれば機械トラブルのリスクを背負うようなものでして。ですから、安易なリスク改善はかえって危険を増すと言えましょう。

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    1. >機械トラブルのリスクを背負う
      全くその通りだと思います。
      そして、機械系のトラブルは従来のリスクと比較すると、馬力があるのでアームと接触したら大事故になりますし、巻き込みなどが発生したら、やっぱり大事故になるわけです。
      >安易なリスク改善はかえって危険を増す
      予防するにしろ、緩和するにしろ、簡単に考えて簡単にそれが達成できるものではないのですが、要求元ってのは、どうにも簡単に考えやがって困りますわ。

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